2022年03月17日

小田原ふるさと大使になった富野由悠季「市内にガンダムのマンホール蓋が出来るのが本当に嫌。自然の景色じゃない。日本を汚染してる」

1: 名無し募集中。。。 2022/03/09(水) 12:34:20.82 0

人気アニメ「機動戦士ガンダム」シリーズの生みの親、アニメーション監督の富野由悠季氏(80)が、毎日新聞などのインタビューに応じた。
話題は故郷の神奈川県小田原市にとどまらず、地球の環境問題や教育に及んだ。2021年に傘寿を迎えた巨匠の言葉に、今こそ耳を傾けたい。

ガンダムは、人類が宇宙進出する時代を描いている。
宇宙に建設した植民地(スペースコロニー)が地球連邦に独立戦争を挑み、兵器としてのロボットを操るパイロットたちが巻き込まれていく物語だ。
勧善懲悪ではない筋書きには、故郷の風土が全面的に反映されているという。

「(小田原は)海のものでも山のものでもない、偏りがないところにワールドワイド性があった。だから、作品の中でイデオロギーを持った人をテロ集団にできた。
田舎の小さな町だが、住みやすい良いところで、箱根や熱海を背負っている。明治から大正にかけて別荘地帯でもあった。
そういう場所だったおかげで僕は過激思想に染まらなくて済み、命拾いをした。(戦時中は)軍需都市だったから焼夷(しょうい)弾も落とされた。
それも僕の作品に影響を与えている。小田原の風土に対して賞をあげたいくらいだ」

その一方で「小田原は好きではない」と言い切る。
「好きではないというのは全否定ではありません。こんなに住みやすい良いところでのんべんだらりとしている地付きのやつが大嫌い。
言葉は悪いかもしれないが、全肯定したらばかだから。おべんちゃらを言うヒマはない。僕は来年死んだって早死にとは言われないから」

そして、市内にガンダムをデザインしたマンホールのふたができ、2021年夏に「小田原ふるさと大使」に任命されたことについて
「ふるさと大使は、大人の対応で受けた。でも、このままガンダムマンホールがいっぱいできるのは本当に嫌。自然の景色じゃないから」と言及した。

「暮らしの景色の中にアニメのキャラクターがバンバン並んでいていいのかという話をそろそろしたい。ゆるキャラも含めて、日本の文化を汚染しているような気がしてしょうがない。
第三者が話すとただの批判になるから、当事者が話す。商売の道具として宣伝するのは構わないが、『それはおかしいぞ』と当事者が話すべきだ」。
21年以降、マンホールや原付きバイク用のナンバープレートなど、しきりにガンダムを使ってPRする小田原市をけん制した。
https://mainichi.jp/articles/20220308/k00/00m/040/097000c


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posted by まだおっち at 21:00 | Comment(0) | 富野由悠季 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2021年09月02日

富野由悠季監督が語る『ハサウェイ』と『レコンギスタ』 「そうか、僕は手塚治虫先生と同じ立場になっちゃったんだな」

1: muffin ★ 2021/08/29(日) 19:12:53.81 ID:CAP_USER9

https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/08/29/114298/
https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/images/tominoyoshiyuki.jpg

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』や劇場版『Gのレコンギスタ』のヒットで盛り上がるガンダム。初の実写化作品がNetflixで全世界配信されることが4月に発表されるなど、ワールドワイドに。そんな状況を"生みの親"富野由悠季(とみの・よしゆき)監督はどう見ている?御大が約2時間にわたり語ったのは自身の老い、知られざる原点、そして「ガンダムの世界」の未来だった! あと、ついでに「ワクチンはもう接種しましたか?」と聞いてみました。

――ところで、コロナのワクチンは打ちました?

富野 6月に2回接種しました。打ったらホッとはしますよ。これだけテレビで騒がれてりゃ。

――副反応はありました?

富野 僕は3〜4時間、体が重ったるいなっていうのがあったくらい。でも、友人は2日寝込んだと言っていた。まあ、抗体が身につくというのは、生体そのものを強化するということだから......50万、100万人も打っていれば、その中に不適合者が出てくるのは当たり前でしょう。なので、一部の世論のようにとがって非難するつもりもありません。

中略

富野 映画の『閃光のハサウェイ』には一切関与してません。これは僕の主義もある。映画という媒体は最終的には監督のもの。だから口出ししてはいけないと思った。

でもね、同じスタジオ(サンライズ)の同じフロアで仕事をしているわけだから、言おうと思えば、つべこべ言えちゃう。例えば『閃光のハサウェイ』の絵コンテをこんなふうに机にバーン!と叩きつけて(富野監督、週プレを机に叩きつけながら)「これ、何さ? おまえ、原作読んでないよね!?」って言えてしまう。『Gのレコンギスタ』がなかったら、騒動を起こしていたかもしれません。勝手に絵コンテを描き直して、「これでやれ!」って(笑)。

――『閃光のハサウェイ』はご覧になられました?

富野 率先して見るつもりはありませんでした。でも、原作者の業務として見なければならない。なので公開前にきちんと見ています。

――ご感想は?

富野 関与していない作品なので感想は言えません。意見を言えば、良きにつけあしきにつけ、マーケットに対して偏見を与えることになりますからノーコメントです。

――なるほど。ところで富野監督は『海のトリトン』(72年)で初めてテレビアニメシリーズの総監督を務めましたが、『トリトン』には手塚治虫先生の原作漫画がありましたよね。『トリトン』製作時に手塚先生からこうしてくれ、と言われたことはありましたか?

富野 あるわけない。手塚先生は、当時ナンバーワンの漫画家です。僕にとっては尊敬する作家でもある。でも、あれだけ多数の作品を世に送り出していれば、作品に出来不出来はある。そして、『トリトン』は不出来な作品だったので、徹底的に作り直す、文句あるか!という態度で挑みました。

そのことに対して手塚先生からのクレームなどは一切ありませんでしたよ。それどころか原作漫画は、連載当初は『青いトリトン』というタイトルだったんだけど、アニメが放送され、単行本が出たときには『海のトリトン』になっていた。それを見た瞬間、手塚先生が自分の仕事を認めてくれた、と思いました。

そういえば『トリトン』を作り終わった後、先生にじかに会ったんです。ある映画の試写会で。上映が終わった後、手塚先生が2mくらい先から僕の顔を見て、「(今の映画)ひどかったね!」って。第一声がこれです(笑)。こうやって声をかけてくれたのは、僕が『トリトン』をやってたことを知っていたからだろうと感じました。

――でも手塚先生は、監督の『トリトン』に対してクリエイターとして意見は何か持っていたのかもしれませんね。

富野 そりゃそうです。映画はよく見る人だから。

――それを言わなかったのは手塚先生の覚悟ですよね。富野監督は、そのときの手塚先生と同じ立場・姿勢を「ハサウェイ」に対して取っているように見えます。

富野 なるほど......ありがとうございます。今、言われて初めて気づいたんだけど、そうか、僕は手塚先生と同じ立場になっちゃったんだな。それは大変うれしいことなんだけれども......イヤだなぁ(両手で顔を覆いながら)。そういう年齢になっちゃったんだなぁ。そうよね、もうすぐ80歳なんだし!

全文はソースをご覧ください


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posted by まだおっち at 21:00 | Comment(0) | 富野由悠季 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする